ある夏の夜の思い出

この度大雨により被害にあわれた方々へ、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興と日常が1日も早く取り戻せますようにお祈り申し上げます。7月も長雨とコロナで散々な毎日でした。長雨で思い出したことがあります。それは私が何歳の時かよく覚えてはいませんが、たぶん小学校高学年のころでしょう。家の西側が私の勉強部屋で窓がありその下が道になっています。西に面したその道は北から家の角を曲がり私の部屋の窓下に出てきます。北から来れば角を曲がったらすぐに私の窓下ということになります。いつもその道を帰宅されるおばあさんがいます。そのおばあさんは私の家の西に住んでおられました。私は勉強していても頭に入らず何か面白い事無いかと考えていました。そのおばあさんはいつも勉強部屋の前を暗くなってからとおられます。ある夜の事雨がしとしと降っていました。もちろん田舎道なので電灯はありません。私の家は道から1メーターほど高く建っていて丁度通られる人の頭の少し上に窓の下端があります。私のいたずら心に火が付きました、子供用の竹の釣り竿に1メーターほどの針金をつけ、その先にゴルフボールぐらいの綿を付けその綿の球にベンジンを含ませて火をつけます。それはあたかも夜の暗闇をさまよい飛んでいる火の玉のように見えるのです。その火の玉の周りは青白く、真ん中は赤く燃えます。リハーサルは大成功。私はおばあさんが帰ってくるのを待ちました。 いよいよそのおばあさんが帰ってくる時間となり、私の心臓はバクバク、おばあさんの足音を聞くのに耳をロバのようにして待ちました。しかしおばあさんの足音は雨の音で消されて聞こえません。その日はタイミングを逃し断念しました。次の日失敗は許されないので、玄関の先から待ち伏せをしておばあさんが曲がるタイミングを見計らって火をつける方法に切り替えます。傘を差したおばあさんが私の家の玄関先に向かって角を曲がり次の角を曲がるときに火の玉が燃えるのです。歩く速度を計算してから火をつけなければなりません。少しでも遅れると火をつけるところを見られてばれてしまいます。早く火をつければ火の玉は燃え尽きて溝に落ちて消えてしまいます。微妙なタイミングが必要です。次の日も雨。いよいよ暗くなってきたころ向こうからおばあさんが我が家の玄関先の曲がり角を曲がりかけたその瞬間私は自分の部屋に大急ぎで戻り用意していた火の玉に点火してそれを窓からそっと突き出しユラリ、ユラリとゆすって、まるで火の玉が上下に飛んでいるように揺らしました。「うあ~あ~」何とも言えない悲壮な声が暗闇に響きました。「やったー」私は計画どおりに事が運んだので喜んだのですが、おばあさんの腰が抜けました。その後私がどのようなお仕置きを受けたかはご想像にお任せいたします。後でわかったのですが夜遅くおばあさんは地元の御宮様にお参りされていたそうです。私はそのおばあさんはどちらかと言えば好きな方でした。おばあさん罪深い私をお許しください。

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