私の病歴

皆さんいかがお過ごしでしょうか?コロナの感染者がますます多くなりやっと近頃少し減少してきました。先月は感染者世界1位と不名誉な数字が出ました。これでは政府としては世界へのイメージが悪くなりそうなので感染者の数え方を変更しようとしています。数え方を変えたところで本当の感染者数は変わりません。行き当たりばったりな政府に開いた口がふさがりません。さて今回八幡市の商工会が開催する「町ゼミ」に参加することになり、沢山申し込みがありました。有難うございました。テーマーは「糖尿病とうまく付き合う方法」です。その際お話の中で自分の今までの病歴を振り返ってみました。するとこれまでにお世話になった方々が浮かんできました。今自分がこうしていられるのもこの方々のお力を借りたお陰と感謝する次第です。まず初めて母のお腹から出てきた時に拾い上げてもらった産婆さん、川口の方でした。未熟児で生まれた私に「この子は小さくても樫や」と言われたそうです。しかし幼稚園ぐらいの時腸炎になり夕食はビスケット4枚だけの時もありました。しかし小学生になって本当に小さくても元気な子に育ってきました。中学高校では病気らしい病気もなく体力も付いて大学では洋弓部を設立して4年間クラブと寮生活や下宿生活を楽しみ大いに青春して過ごしました。そして会社勤めをしてさらに独立、少し油が載ってきた時初めての手術を経験。35歳ぐらいの時大腸ポリープでした小指先の大きさになっていて放っておくと大腸がんに成長する寸前に見つかり韓国のドクターに手術してもらいました。次に17年前、会社が家電販売からリフォーム会社に方向転換した時人数も増えストレスを感じていました。京都桂病院の健康診断で胃がんとわかりました。セカンドオピンイオンで京都医療センターにて手術、森先生に執刀していただきました。その後ダンピング症状や下痢、食道炎で長い間苦しみました。そのころ自分が糖尿病と分かり、胃がんの後食べられない日が続く中、血糖値もコントロールしなくてはならなくなりました。血糖値をコントロールするには食べる素材とそのカロリー数さらに糖質が影響してきます。1日のカロリー数と糖質の量を決め1食1食計算して3年間続けました。その結果安定してきたのでお医者様から(中村診療所)お薬を止めて様子を見ましょうと提案されました。ただいまその実験中であります。さて話を元に戻しますが、3年前京都桂病院の健康診断で前立腺がんが解りました。コロナ禍の最中、大変でしたがロボットで手術してもらいました(大久保先生)さらに1年後PSA(前立腺がん)の値が上がってきたので今度は放射線治療を受けることになりました。34回毎日病院に行って放射線にかかります。コロナ禍で毎日通うのが大変でした。このような病歴の私ですが今思う事。これまで色々な病気に遭遇してきましたがその都度何とか乗り越えてきました。執刀して下さった先生に家族そして友人たち、さらに命を与えてくれた父母に感謝しています。次は脳梗塞がやってくるかな?今から勉強しておきます。近頃周りには感染者がうじゃうじゃいます気を付けてください

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