ガジュマルの木
私の苦手に「寒い季節」があります。特に底冷えする京都の1月2月は悲惨です。どこか暖かい地方にしばらくの間引越ししたい気持ちになります。先月三男の誕生日家族全員が久しぶりに集まりました。長男、次男のお嫁ちゃんを合わせて7名です。家内の手作りバースデーケーキにろうそくを立て、部屋を暗くして「ハピバースデーツーユー」を皆で歌いました。三男は少し照れくさそうにしていましたが、悪い気はしなかったようです。息子たちが仲良くしてくれるのを見て喜び、可愛いお嫁ちゃんも入ってわいわい言いながら食事するのはこの上もないご馳走です。またお嫁ちゃん同士が、いや家内までがエステだのダイエットなど楽しく話しているのを聞くと微笑ましい限りです。
ところで突然話は変わりますが、ガジュマルの木をご存知でしょうか、そうです熱帯などに生息している大きな木です。屋久島や沖縄に行けばよく目にする木です。一説には風を守る=風守る=ガジュマルとなったとか。以前の事ですが私はその木をじっくりと20分近く見ていました。その根は地表浅く半分は土から出ている、しかし何十にも絡まり近くにある違う品種の木の幹までも絡んでいく。何ともいえないほど生命力にあふれた木なんだろう。沖縄で見たその木は台風で何度も叩きのめされたに違いない、その姿はまるで戦場で戦っていた勇者の如き姿をしていました。何時間見ても飽きることはないその存在感、そして絡まった幹は私の腕の中に入りきれないほどの太さで、その艶は陶器を焼く前少し湿気を含んだ茶色の粘土のような肌触りである、手で触れると冷たくはなく、ほのかに樹木の温度を感じさせる体感があった、私はこの木に人の人生と家族を感じた、この木自体が家族の集団なのである。枝から垂れ下がった根。はじめは細い数本の根がやがて土に着き太い根となって独立し、元あった幹に絡み付き幹を太くするさらに新しく芽生えた枝からはさらに細い何本もの根が垂れ下がり地面へと伸びてゆくそれゆえこの木は家族の歴史を見ているようでもある。はじめは細い一本の親の木を子供が支えさらに孫が支える。時が経つと元あった幹は腐り空洞となっても周りの幹たちが支えている。なんと素晴らしい生き方だろう。何年もの月日が経つとこの木は家族以上のものになる。それは社会となり、世界となっていく。脈々と受け継がれたそのDNAは誰かがだれかをささえていく。私は三男の誕生日にガジュマルの木を思いだし、ガジュマルのような家族になれたらと思いをはせるのでした。