なりたい自分になりましたか?
先日から久しぶりにDVDに懲りだしました。私は時代物が大好きで、司馬遼太郎の「国盗り物語」がお気に入りです。意気盛んな高校生のころこの本を読んで戦国時代、一介の油売り商人が尾張美濃を手にし、天下を取ることを夢に見て着々と実現していく斉藤道三の知略、や実行力に胸を膨らませていました。何度も読み返しそのたびに人間とは「自分はこうなりたい」と心に思い込んで辛抱強くその夢に向かって進んでいくと必ず実現するのだと信じようとしました。しかし若かりし時期はどのような夢をどのくらいのスケールで思い描けばいいのかが解らなかったのです。今思えば自分がしっかりと見えていない心定まらず時間だけが過ぎていたように思います。今では自己啓発のスクールや、DVD、研修道場などいろいろな形で勉強できます。お恥ずかしいのですが、この年になって今までに仕事の事や家族の事、人生の事で十分やってきた、遣り上げた、とは思えません。まだ何かが足りない。これからやっておくべき事がまだあると感じています。いまさらですが、どのような生き方が自分らしいのかもう一度考え直してみようと思っています。神様が人間を作られたとき『一人ひとりの人間に自分では、気がついていないとてつもない能力をあたえてこの世の中に送り出したのではないでしょうか』言い換えれば「自分がなりたいと願うものに成れる力を授けてくれている」のではないでしょうか。たとえば、それが職業だったり、生き方だったり。しかし自分ではそれに気がつかず一生を終えている人もいるしそれに向かって努力し実現している人もいる。その違いはどこで差がつくのでしょうか。私にははっきりとこれだと言えませんがそのひとつには「思いを諦めずにやり続ける事」では無いかと考えます。そしてなりたい自分になるには、自分の一番身近にいる人達にどれだけ認めてもらえるのかが大切な事ではないでしょうか、認めてもらうには、まず自分が相手を認め受け入れることから始まる。自分を見直し自分を変える事が第一歩の作業だと考えます。年をとって「何でいまさら・・・」に成りやすい自分に少し厳しく立ち向かう勇気も必要ではないでしょうか。せっかくこの世に生を受け親に生んでもらってありがたいと感謝して、良かったと思える一生を送るために、そしてこの世で極楽を見つけるために、『なりたい自分を見つけ出す旅にチャレンジする時間』を持ちたいものです。