平穏死について

1ヶ月のご無沙汰です、この1ヶ月いかがお過ごしになったでしょうか?

調子の良かった方や、まずまずの方、風邪気味だった方いろいろだと思います

先日仕事でお得意様の家に行き現場を下見に行った折、いつも送ってくれる、フィニール誌を楽しみにしているよと暖かい声をかけてくださいました。ありがたい事です。たいては「よく色々な所へいって遊びまくってるな~」と言われます。その通りです、これでもネタ探しの楽しみなのです

さて今回は少しまじめに考えている事を書いて見ます。近年高齢者の数が増えて、綾小路きみまろさんではないが、ちまたでは高齢者の養殖所と化しています。特にアルツハイマー病の老人の数はこれからも増えつづける事でしょう。体は元気、でも脳が異常をきたしている、そのバランスが崩れてくる。誰もが両方元気でいたいのですが、老いはそれを許してくれません。まだ体が動くなら施設で見てもらえます、しかしいよいよ老いてくれば食べる事が困難になってきます。施設に入っておられる方を見ていたら、徐々に進行してくるアルツハイマー病と骨折で車椅子生活になり、要介護、徐徐に一人では食べる事が出来ず介助が必要となる。そして段々食も細くなり、誤嚥から肺炎を起こしそれを繰り返す事でチュウブを入れられ、またも逆流による肺炎を起こし、最後は病院で遺漏をして命を永らえる。本当にこれで本人は幸せなのでしょうか

私は延命治療には疑問を持っている一人です、今の施設では難しいのですが安らかに死を迎えられるやり方で対応してもらいたい。食事が出来なくなるといゆうことは、死がそこまで近づいているといゆことです。無理やりチュウブや、胃に穴を入れて生かされても嬉しいでしょうか?本人は意思決定が出来ない。周りのエゴや算術で生かされていればこれほど惨めなものはないのです、出来るだけその人の人生を安らかに終わらせてあげるのが残された周りの人の役目では無いでしょうしょうか 「看取りです」、三宅島では年老いて、食べられなくなったら、床に水を置いて周りの人たちが集まり見守って、逝かしてあげる習慣があるらしいのです。それを聞いて私の『おばあちゃんの逝くときがそうでした』家族がそろいみんなで送りました。今では家で送られる人はほとんどいません」病院がほとんどです。いつ頃からこうなったのでしょう。とにかく若くてまだ体力もあり回復が見込めるなら別ですが、高齢で食事も無理やり食べさすような事態になるなら延命治療はどうかと考えます、しかし私のようには思われない方もおられるのは事実です。愛する人の死を考える時、「もうがんばらなくてもいいよ」と声をかけて見送りたいものです。

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