感動の思い

近頃日常で感動することがあまりない。いつものようにテレビを見ていてたまに感動するようなドキュメントがあって気持ちが高まって来たらCMが入る、そこで感情移入していた自分が冷めてくる。長いCMがやっと終わり再開の画像が重複して前に流した画像をまた流す、そこで「またか」と思いうんざりする。これでは良いドキュメント番組でも番組にのめり込む熱い自分が持続できないのである。CMが10分おきに流れる今と違い。昔プロレスの力道山が外人相手に戦っている姿を見てそれにのめり込んでいる自分がいました、姑息な反則をする外人に正々堂々と戦い挑んでいる力道山は日本人のあこがれであり、ヒ-ロでした。最後に空手チョップで引き分けに持ち込んだ展開には演出が入っていると分かっていても自分の心に感動が残って興奮鳴り止まずの状態でした。実にCMに邪魔されない放送が懐かしいです。話は変わりますが、先日94歳の母がお世話になっている施設に行きました、息子の「お嫁ちゃん」も行きたいと言うので2人で行きました、母はだいぶ前から認知症で私のことも認識できません。でも合うと笑顔を見せてくれます。それを励みに会いにいくのです、先日は車椅子に乗ったまま、母の足を20分ぐらいさすっていますと若かった頃の母の姿を思い出してしまいました、母の背中におんぶされてご近所に行ったこと、背中で気持ちよく眠ったこと、母の言う事を聞かずに駄々をこねていたら、暗くて怖い蔵に入れられ、どうあがいても開けられない分厚い引き戸と戦い、声がかれるまで泣きつづけたこと、運動会で食べた手作りのお弁当、成人になってからは東京に下宿している私に、仕送りとラーメンがどっさり入った荷物を送ってくれた事など母と父が私にしてくれたことを思い浮かべていました。お嫁ちゃんは母の肩をさすりながらいろいろと話しかけてくれます、少しの反応しかないのにそばで懸命に話しかけます、その優しい姿を見て良い子が娘になってくれたことに感謝しました。そのような事が有り、仕事を離れれば、日常の生活の中で「ワクワク感」や、「やり遂げた達成感」が気薄になってきているように思います。そのような自分を奮い立たせるようにするにはどうすればよいのかを考えてみました。「感動するには自分でやって見なければ得られない」まずは何か目標を作ること、それを書いて見えるところに貼ること。そして毎日少しづつやって確認すること。気長に続ければきっと「できる自分」がそこにいるはずです。

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